上野焼の開祖は、朝鮮陶工の金尊楷(きんそんかい)です。金尊楷は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役・1590年代)の折に、現在の韓国・泗川市(サチョン市)から渡来しました。1602年に細川忠興公が豊前33万石の領地を与えられた際
に、水質、釉薬(ゆうやく)の採取に最も適した上野の地に金尊楷を招き、開窯したのが上野焼の始まりです。金尊楷は名を上野喜蔵高国(あがのきぞうたかくに)と改めました。当時、茶道に造詣深い千利休から直接教えを受け、茶禅一味の奥義をきわめた茶人大名細川忠興公(号・三斉)の指導により、三斉好みの格調高い作品が造られました。後に小笠原忠真公の時代になっても、藩窯として遠州好みの茶陶を多く作り、遠州七窯の1つに数えられています。
国の伝統的工芸品の指定を受け、400年の伝統と歴史の中で、現代の感覚を入れ、洗練された優美な作品に数多くの特色を発揮しています。
※遠州七窯・・・小堀遠州(こぼりえんしゅう、江戸時代前期の茶人、造園家)が茶器を製造するために選んだ7ヶ所の陶窯。
☆陶器祭り 毎年4月の第4金曜日とその前の金、土の3日間(年によっては変更する場合があります)
☆窯開き 毎年10月下旬 |
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